• シンクロニシティ
神の仕業か、心霊現象か?

歴史上に起きた、驚愕の偶然の一致!

心理学者ユングによって「シンクロニシティー」と名付けられた、偶然の一致。誰にでも一度は経験があるはずです。「誕生日にコンビニで買い物をしたら、自分の誕生日の数字を並べた金額だった」「久しぶりに友達へ電話しようとしたら、ちょうどその友達から電話が来た」など、日常の中で私たちは知らない間に様々な偶然の一致を経験しています。偶然の一致はどうして起きるのでしょうか。神の仕業か、心霊現象か、はたまた、ただの考えすぎなのか……。いずれにしても、信じられないような偶然の一致は、確かにこの世に存在しているのです。では歴史上に起きた、驚愕の「偶然の一致」をほんの少し皆様にご紹介したいと思います。

偶然の一致1ノルマンディー上陸作戦とクロスワードパズル

ノルマンディー上陸作戦は、第二次世界大戦末期の1944年6月に決行された連合軍側の有名な軍事作戦です。この作戦についてはのちに映画や文学でも数多く描かれました。アメリカ、イギリスを中心にした連合軍がナチスによって占領されていたフランスのノルマンディー地方の海岸へ大規模な上陸作戦を敢行し、これを境にナチスは崩壊へ向かい、最終的にヒトラーは愛人とともに自殺することになったのです。

この作戦は軍のなかでもトップシークレットとして扱われ、作戦内容を知るものは軍の上層部に属するごく一部の人間だけでした。

しかし驚くべきことに一般人が知るべくもないこの軍事作戦の暗号が、デイリーグラフ紙というイギリスの一般大衆紙に、作戦決行前の5月から6月にかけて掲載されたのです。それは、紙面の片隅にあったクロスワード欄の解答でした。この事実に気がついた軍の情報部は、スパイによって暗号の一部が盗まれているのではないかと騒然としましたが、幸いにもノルマンディー作戦は大成功をおさめ、結局ナチスに情報は洩れていなかったことがわかりました。

軍の情報部は、作戦の終了後にクロスワードパズルの作成者の男性を呼び出して取り調べましたが、何ら不審な点はありませんでした。クロスワードを作ったのは、パズルを愛好するごく普通の小学校教師でした。

結局、なぜ「世紀の大作戦」が決行される直前に、その暗号と一致する言葉がクロスワードパズルの答えに使われたのかは最後まで解明されませんでした。

偶然の一致2アメリカ大統領にまつわる偶然の一致

ご存じの方も多いと思いますが、歴史上の偶然の一致でもっとも有名な話は、アメリカ合衆国16代大統領リンカーンと35代大統領ケネディとの間に起きた数々のシンクロニシティーです。

「1846年に初めてリンカーンが議会に選出され1860年に大統領になり、そのちょうど100年後の1946年にケネディも議員となって、1960年に大統領に就任した」

「2人とも夫人の目前で頭部を撃たれて死亡した」

「後を継いだ大統領は、ともに南部出身で名前が同じジョンソン、誕生年はちょうど100年違いだった」など、この他にも暗殺者に関する一致点まで含め、二人の間には数多くのシンクロニシティーが報告されています。

アメリカ大統領にまつわる偶然の一致でもう一つの有名な話は、「ゼロ・ファクター」と言われるジンクスです。「ゼロ・ファクター」とは、最後にゼロがつく年に選出された大統領は、任期を全うせずに死ぬ、というものです。この奇妙なシンクロニシティーは、1840年に選出された第9代大統領ヘンリー・ハンソンにはじまり、1960年選出のケネディまで、ゼロのつく年に選出された6人の大統領全員にあてはまるのです。4人が暗殺で、2人が病死でした。

1980年に選出されたレーガン大統領もこのジンクスの犠牲者になるのでは、と囁かれましたが、幸いにも生きて任期を全うすることができました。しかし、彼も任期中に暗殺未遂の目に遭っているのです。

偶然の一致3史上最悪の海難事故「タイタニック号遭難」を予言した小説

1912年4月、イギリスの豪華客船、タイタニック号はサザンプトンの港から処女航海に出発しました。乗員、乗客あわせて2,200人余りを乗せ、目的地アメリカへ向かう途中の北大西洋上で氷山に衝突して沈没してしまった事故は、あまりにも有名ですね。この船は「沈まない船」と言われていたために十分な救命ボートを積みこんでおらず、衝突から沈没まで2時間45分もあったのに、1,513人もの犠牲者を出す最悪の海難事故となってしまったのです。

今でもさまざまなエピソードとともに語り継がれる「タイタニック号の悲劇」ですが、この悲劇を、事故が起きる14年前に予言した小説があったのです。それは、1898年にモーガン・ロバートソンという作家が発表した「タイタン号の遭難」という小説でした。この小説に登場する「タイタン号」はタイタニック号と同様の豪華客船で、サザンプトンから4月に処女航海に出発、そしてアメリカに向かう途中の北大西洋上で氷山に衝突して沈んでしまうという、タイタニック号の遭難をあとから小説にしたのではないかというほどに、内容が一致しています。驚くことに、船の規模、衝突した時の速度、救命ボートの数までほとんど同じでした。

しかもタイタニック号の遭難を予言していたのは、この小説だけではありませんでした。小説が発表される6年前に、イギリスの新聞に掲載された「海難事故の対策が不十分」という趣旨の記事の内容も、驚くほどタイタニック号事故の様相と似通っていたのです。この記事を書いた記者、W・T・ステッドという人物は、自らもタイタニック号に乗り込み、事故の犠牲になってしまいました。

作家のアーサー・C・クラークが収集したタイタニック号の遭難にまつわるエピソードにも、いくつもの不思議な話があります。それによると、「乗船を予定していたある男性は、船首を上向きにして漂っている船の夢を二度も見たために、乗船をキャンセルして助かった」「ある船員は、昇進のチャンスだったタイタニック号での乗務を不吉な予感がしたために断った」など、複数の人々が虫の知らせを感じて、危うく難を逃れた話が報告されています。

偶然の一致4故郷にたどり着いた棺

この話の主人公は19世紀後半を代表するシェイクスピア劇役者、チャールズ・F・コクランです。

彼は1841年に「赤毛のアン」で有名な、カナダのプリンスエドワード島で生まれました。子供の頃から頭脳明晰で、家族や隣人の援助を受けてイギリスの大学へ進みましたが、周囲の期待に反して卒業後に舞台俳優の道へ飛び込みました。激怒した両親はチャールズを勘当しましたが、彼はついに一世を風靡するほどの俳優になります。

コクランはアメリカとイギリスの舞台で大活躍して人気を博したのですが、勘当されて以来故郷に帰ることはなく、プリンスエドワード島のことはすっかり忘れていました。ところがある日、占い師に「あなたは人気絶頂の時にアメリカ南部の町で死ぬが、その魂は故郷に帰るまで決して休まることはない」と告げられたのです。

この占いを非常に気に病んだチャールズは、一時、島へ帰って隠遁生活を送ります。しかし世間は当代一の人気俳優を放っておいてはくれず、しばらくしてまた舞台に復帰します。

やがて1899年11月、占い師の予言通りにアメリカ南部の海沿いの町で、コクランは舞台中に急死してしまったのです。

彼の遺体はこの地の共同墓地に葬られました。ところが翌年9月に大規模なハリケーンがこの町を襲い、その遺体を収めた棺は他の多数の棺とともに洪水で海へ流されてしまったのです。

遺族は必死で棺を捜索しましたが、ついに見つかりませんでした。しかしその8年後、あろうことかコクランの棺は故郷プリンスエドワード島に流れ着いたのです。その距離は約5,000キロ!棺の表面はフジツボや苔のような海藻で覆われていたそうです。その後、棺は彼が洗礼を受けた教会の墓地に埋葬されました。

8年も漂流したあげく棺の打ち上げられた場所が自分の生まれ故郷であったという事実には、単なる偶然の一致を超えて、目に見えないものの力を感じざるを得ません。

© 恋愛占いPlus+

おすすめページ